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東京書籍のウソを暴く鈴木安蔵-明治の自由民権派を代表する交詢社系の憲法私案

 東京書籍中学校教科書(平成9~12年度版、採択率41.1%)に掲載されたコラム「新憲法の誕生」は次のように述べる。

 「GHQが政府に憲法の改正を命じると、各政党や民間でも多くの憲法草案がつくられました。そのうち、憲法研究会がつくった草案は、国民主権や基本的人権の尊重の考え方にもとづく画期的なものでした。この会には、憲法学者や自由民権運動の研究者がいて、一八八〇年代、大日本帝国憲法がつくられる前に民間でつくられた、さまざまな憲法草案を参考にし、その精神が受け継がれたからです。そしてその草案はGHQに提出されました。

 政府の憲法改正案は、大日本帝国憲法の字句修正にすぎなかったため、GHQは、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を三つの柱とする案を示しました。それは、形のうえでは日本政府に押し付けられたといえますが、内容の点では、明治時代の自由民権運動以来、国民が望んでいたものがようやく実現したといえるものでした。事実、日本国憲法制定後、国民の圧倒的多数はそれを支持してきました」


 我が国の左翼勢力が称揚する憲法研究会の中心人物にして自由民権運動の研究者であった鈴木安蔵は、「一八八〇年代、大日本帝国憲法がつくられる前に民間でつくられた、さまざまな憲法草案」のうち最も代表的な憲法草案を「憲法制定とロエスレル」(鈴木安蔵著/東洋経済新報社/1942年発行、99~135ページ)に掲載している。鈴木はそれについて次のように述べている。


明治十四年政変当時における民間の支配的憲法論-憲法草案

 我が憲法制定の根本方針は、(明治)十四年政変を機とせる岩倉具視の憲法意見提出によって決定されたのである。岩倉の憲法論の史的意義を理解するには、当時の我が国を支配せる憲法制定・国会開設論、憲法私案の性質を明らかにせねばならぬ。

 明治十三年から十四年にかけて、自由民権運動は全国を風靡し、全国到るところに国会開設請願運動が展開され、立憲政体樹立を要望する大小各種の政治結社が簇生(註、そくせい、簇の意味は「むらがる」)した。

 それらの運動、諸結社の主張するところはそれぞれ異同もあるが、現在の有司専制を廃して立憲政体を樹立する点で軌を同じうした。而してその最も代表的なる憲法意見は立志社ならびに同系の憲法論と交詢社ならびに同系のそれとである。特に交詢社的主張は最も広く普及し共鳴されていたように思われる(中略)。

 しからば交詢社系の憲法論は如何なるものであったか。今その典型的資料として「郵便報知新聞」紙上に明治十四年五月二十日以降六月四日に亙って掲載されし「私考憲法草案」を挙げ得る。代表的憲法草案としては交詢社の「私擬憲法案」を挙ぐべきであるが、この「私考憲法草案」は交詢社案と以下見るごとく多少表現の相違はあるが、その根本趣旨は同一であり、加うるに交詢社案になき条文註解があるので研究に便であるから、これを主として参照しよう。その主要箇条ならびに註解を見れば、略々この派の意見を知り得るだろう。


 交詢社は明治十二年九月二日、福沢諭吉、小幡篤次郎、小泉信吉、阿部泰蔵、江木高遠、荘田平五郎、矢野文雄、中上川彦次郎、藤田茂吉、箕浦勝人、九鬼隆一、門野幾之進、馬場辰猪その他三十一人が会合して設立したもので、彼らは慶応義塾の関係者である。「私擬憲法案」は「交詢雑誌」第四十五号(明治十四年四月二十五日)に発表された。郵便報知新聞の「私考憲法草案」の執筆者は藤田茂吉、箕浦勝人らと推定される。

 交詢社の「私擬憲法案」および郵便報知新聞の「私考憲法草案」の模範はイギリス憲法であるが、両案とも帝国憲法に似ている。とくに天皇の地位と権限に関する条項は帝国憲法に酷似している。いずれも「帝室は直接に万機に当たらずして万機を統べ給う者なり」という福沢諭吉の日本皇室論と同一であり(詳細はこちら)、「主権在民」を掲げていないのである。また皇位継承は古来よりの慣例-不文の大典に拠り、敢えてこれを憲法に掲げない趣旨を述べる「私考憲法草案」第一条註解は、伊藤博文の憲法義解第二条解説とほぼ同じである。

 両憲法案を読み終えた時の所長の感想は、「伊藤博文は交詢社系憲法試案を剽窃して帝国憲法原案を作ったのではないか」というものであった。

 よくよく考えてみれば、帝国憲法の模範がプロイセン邦憲法であるとの俗説が正しくとも、プロイセン邦憲法の模範はベルギー憲法であり、ベルギー憲法の源流はイギリス憲法である。そしてベルギー憲法はプロイセン邦憲法と同じく帝国憲法原案起草の参考資料となっていたから、帝国憲法がイギリス直系の交詢社憲法案に似るのは当然のことであった。

 明治13年から14年にかけて日本全国を風靡した自由民権運動を代表する交詢社系憲法案は帝国憲法によく似ており、「帝室は直接に万機に当たらずして万機を統べ給う者なり」という思想を成文化し、主権在民を規定していない以上、自由民権運動の憲法思想を受け継いだ憲法は大日本帝国憲法である。マッカーサー占領軍憲法(日本国憲法)は帝国憲法違反であるばかりか、明治の自由民権運動の憲法思想からも懸け離れているのである。

 従って日本国憲法が「内容の点では、明治時代の自由民権運動以来、国民が望んでいたものがようやく実現したといえるものでした」という東京書籍中学校教科書(平成9~12年度版、採択率41.1%)の記述は真っ赤なウソである。我が国の公教育は無数の生徒の脳裏にウソとデマを刻み込み、亡国のマッカーサー占領軍憲法を支持する有権者を生産しているのである。

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パル判決が語る慰安婦強制連行説の虚構-林博史の欺瞞

 朝日新聞社の報道によると林博史が、日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを確認したという。ついに朝日新聞社の大反撃が始まったか?

慰安婦強制示す調書、東京裁判に各国検察提出(朝日新聞2007年04月15日03時00分)

 日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。

 東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。

 インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。

 オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。

 彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」

 46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。

 44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。

 「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」

 フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。

 中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」と認定している。

 一連の資料について林教授は「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」と話している。


 林博史が確認した検察団の証拠資料などは目新しいものでない。共同研究パル判決書(東京裁判研究会編/講談社学術文庫/1984年2月10日初版発行)下巻第六部「厳密なる意味における戦争犯罪」で既に詳しく分析されているのである。所長が以下にそれらの一部を引用する。

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大東亜戦争の真相と近衛内閣の正体を解明する尾崎秀実の論文一覧

 尾崎秀実著作集(勁草書房)は、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実が支那問題の権威として検挙されるまでに発表した多数の論文を収録。尾崎はゾルゲの片腕にして近衛文麿の最高政治幕僚であった為に、彼の論文は、ゾルゲ機関の謀略活動や近衛内閣の軍事外交内政の目的、近衛の正体を余すところなく示唆している。

 特に1937・11~1939・12に発表された論文を収録した尾崎秀実著作集〈第2巻〉1977年は、支那事変の研究に役立つこと絶大である。

 「東亜新秩序論の現在及び将来―東亜協同体論を中心に」(東亜問題昭和十四年四月創刊号)の中で、尾崎は、近衛が彼の同志であり共産主義者であることを示唆しているのだ。

 また「汪精衛政権の基礎」(公論昭和十四年十一月号)は、反共親日を標榜した汪兆銘政権樹立工作の推進勢力の中心人物が共産主義者の尾崎秀実であったことを示す。この事実こそ支那事変と大東亜戦争の真相と近衛内閣の正体を解き明かす鍵である。

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やしきたかじんが日本にもたらした希望の光-戦時国際法から南京大虐殺の真偽を分析する

 平成16年(2004年)10月、若者に人気の「週刊ヤングジャンプ」に掲載されていた本宮ひろ志の漫画『国が燃える』の中の「南京大虐殺肯定史観」に立脚する描写に、国民の猛抗議が殺到し、本宮は非難の集中砲火を浴びて炎上し「国が燃える」の休載に追い込まれた。筆者は、満州事変の頃からこの漫画に朝日新聞の本多勝一史観の腐臭が漂い始めたことを感知して、立ち読みを止めたのだが、案の定、本宮は馬脚を露してしまった。

 朝日、毎日、テレ朝、TBS、NHKなど反日左翼マスゴミは、この事件を右翼の言論弾圧として大々的に取り上げ、本宮を擁護しようとはしない。おそらく彼等は日本国民の変化に戦慄し、本宮の連載休止に彼ら自身の末路を見出して恐怖しているに違いない。本宮に対する国民の猛抗議とは、これまで荒唐無稽な南京大虐殺説を宣伝してきた彼ら反日左翼勢力に対する国民の許し難い憤りと抑え難い憎しみでもあるからだ。

 平成6年5月、永野茂門法相が「南京事件はでっち上げ」と発言し日本国内外の反日勢力から非難の集中砲火を浴び辞職に追い込まれたが、1994年の日本国と2004年の日本国を比べると、隔世の感があり、筆者は歴史家の見習いとして感慨に耐えない。小林よしのりの戦争論やインターネットが多くの日本国民を急速に覚醒させているのであろう。

 テレビマスコミの大半が明日の我が身をかばい「ヤングジャンプ国が燃える」事件を無視する中、勇気を奮ってこの事件を取り上げ、南京虐殺の真偽を議論した読売テレビ「やしきたかじんのそこまで言って委員会」のネットアンケートを見ても、南京大虐殺否定論者が圧倒的多数を占めている。まことに慶賀の至りではあるが、肯定論者は無論のこと否定論者の中にも、首を傾げざるを得ない偏向した歴史観の持ち主が少なからず存在していたことは遺憾であり、未だ正確な戦史の真実が世人に知られていないことを痛感させられる。

 そこで筆者が戦時国際法から南京攻防戦を簡潔に分析してみよう。

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連合国の犯したポツダム宣言違反-占領軍憲法第9条の精神は日本人への虐めと嬲り 

 昭和天皇は、サンフランシスコ講和条約の発効の日を迎えて、次の御製を詠まれた。

 風さゆるみ冬は過ぎてまちまちし八重桜咲く春となりけり

 国の春と今こそはなれ霜こほる冬にたへこし民のちからに

 昭和天皇は、連合軍が日本国を軍事占領していた期間を冬の時代と認識されていたのである。

 荒木貞夫被告の弁護人を務めた菅原裕は、1945年9月2日に連合国と日本国を拘束する休戦条約となったポツダム宣言から発生する双方の権利と義務を挙げ、連合国が犯した数々の違法行為を批判した。

【連合国の犯したポツダム休戦条約違反行為】

日本国の義務(連合国側の権利)

1、「日本国国民を欺瞞し誤導して世界征服の挙に出でしめたる者の権力及び勢力は永久に除去せられざるべからず」(第6項)

 本項は各個人について具体的にいうものであることは明らかであるから一般的、包括的に指定した追放処分の如きは本坑の趣旨を逸脱した、権利の濫用ともいうべき不法な行為であったことはいうまでもない。

2、「連合国の追つて指定すべき日本国領域内の諸地点は、吾等がここに指示する根本的目的の達成を確保する為占領せらるべし」(第7項)

 本項が諸地点と明記せるにかかわらず、連合国軍は、日本の全領域を占領した。これは明らかに本条違反であった。

3、「カイロ宣言の条項は履行せらるべし」(第8項)

4、「日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」(第8項)

 本項はカイロ宣言ならびにヤルタ協定の実施として日本より台湾、樺太、千島を剥奪したものであるが、日本が本来領有し、もしくは堂々たる講和条約によって取得しすでに数十年にわたり国際的に公認せられているこれらの島嶼を一方的宣言や秘密協定によって奪い去ることは明らかに国際法の蹂躙であり、かくの如く戦勝国が無制限に過去にさかのぼっていっさいの公認されている現実を否認するとすれば、いずれの時にか国際秩序の安定があり得るであろうか。

 またこれは一九四一年八月英米が宣言した、大西洋憲章第二項の「関係国民の自由に表明せる希望と一致せざる、領土的変更の行なわることを欲せず」に違反するものである。

5、「日本国軍隊は完全に武装を解除せらる」(第9項)

6、「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳格なる裁判が行わるべし」(第10項)

 本項に関しては東京裁判において二つの点で問題になった。一つはいわゆる「平和に対する犯罪」なるものはポ宣言発表当時国際法上、戦争犯罪の概念の中に入っていたかどうかということで、他のチャーター「極東国際軍事裁判所条例」の内容その他東京裁判のやり方は「厳格なる裁判」であるかどうかということであった。

7、「日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし」(第10項)

 ポツダム宣言受諾に際し日本政府の天皇制に関する釈明要求に対し8月11日の国務長官の解答には明らかに天皇制ならびにその権限の存続(唯一の例外は降伏条項実施の最高司令官の権力下の服すこと)は承認されている。

 したがってここにいわゆる「民主主義的傾向」は従来存在しかつ認められてきたところの天皇制の下における民主的傾向―民衆主義的傾向さらに具体的には帝国憲法所定の立憲政治議会政治を指すことは明らかである。

 ゆえに「主権在民」の日本国憲法を強要制定せしめたことは、本条項を逸脱し日本国民をして義務なき事を行わしめたというべきである。

8、「日本国をして戦争の為再軍備をなすことを可能ならしむる虞ある如き産業は許されず」(第11項)

9、「日本国政府は直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し」(第13項)

 無条件降伏はカイロ宣言には日本国とあったが、本項によって日本国軍隊に変更されたことはまことに明瞭である。

10、「右の行動に於ける同政府の誠意に付き適当且つ充分なる保証を提供せんことを同政府に対し要求す」(第11項)


日本国の権利(連合国の義務)

1、「カイロ宣言の条項が履行せらるる」

 第8項の結果、同宣言中の「右連合国は自分のために、なんらの利得をも欲求するものに非ず。また領土拡張のなんらの念をも有するものに非ず」の個所は日本の利益のために援用し得るものである。

 ゆえにベルサイユ条約による第一次世界戦争以後日本が取得したる島嶼や、台湾、澎湖島は盗取したのではなく、正当なる日清講和条約により取得したものなることが判明したならば、この後段の剥奪措置が適当であるかどうかの再検討や原状回復措置も後日に残ることになる。いわんやヤルタ秘密協定による千島、樺太の奪取の如きは明らかに本条項と抵触するもので当然無視さるべきものと信ずる。

2、「日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し平和的且つ生産的なる生活を営むの機会を得しめらるべし」(第九項)

 ソ連領内に移送された日本軍人及び一般人の総数は57万5千人に及んでいる。かくのごときはたんにソ連一国の不信はいうまでもなく、連合国全体の本条約違反というべきである。

3、「吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし、又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ず」(第10項)

 占領統治の苛酷は本条項違反たるものが多かったが、占領憲法の強要の如きはその最たるものであった。当時わが政府も国会も一片の抗議さえ出し得ないほど奴隷化されていた。

4、「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし」(第10項)

 各般の占領政策は完全に本項に違反したことは他言を要しない(荒木貞夫被告の弁護人を務めた菅原裕の指摘)。

 連合国の執行機関として日本国を占領した連合軍は、何ゆえ以上のごとき違法行為を重ねることができたのか。それは他でもない、我が国はすでに非武装化しており、占領軍に反撃する戦力と方策を喪失していたからである。

 我が国はポツダム宣言第5項「吾等の条件は、左の如し。吾等は、右条件より離脱することなかるべし。右に代る条件存在せず。吾等は、遅延を認むるを得ず」を信じて宣言を受諾し、連合軍の日本占領を受け入れ、「全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し」(第13項)を実行して非武装国になったのである。

 我が国はマッカーサー占領軍憲法(GHQ製日本国憲法)の施行前に、それこそ占領軍憲法前文のいう「平和を愛する諸国民(連合国のこと)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」し、陸海空軍その他の戦力および武力による威嚇又は武力の行使を放棄したのである。

 結果は、菅原裕が指摘したように、無残なものであった。

 そして我が国を騙した連合国の占領軍は、昭和天皇と一般国民を人質に取り、天皇の処罰と立憲君主制の廃止と三度目の原爆投下をちらつかせて日本政府に占領憲法草案の受諾を強要し、その草案の中で、日本国民に「平和を愛する諸国民(連合国)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」することを命じ、「武力による威嚇又は武力の行使の放棄」と「陸海空軍その他の戦力の不保持」を命じてきたのである。

 まさに占領軍憲法の前文と第9条とは、マッカーサーら占領軍が、非武装化した日本国と丸腰になった日本人を徹底的に侮り舐め、嬲り虐め抜いていた証拠以外の何物でもない。

 そして共産中国と南北朝鮮、そして彼らに大和魂を売った反日的日本人は、かつての占領軍のように、非武装化した日本国および日本人を徹底的に虐め嬲り、そして滅亡に追い込みたいから、反日精神の権化である占領軍憲法第9条の護持を叫び、第9条を崇拝するのである。

 筆者が思うに、これから反・反日の日本人が占領軍憲法の前文と第9条の無用有害を説く際は、チベットの惨劇のみならず、大日本帝国の悲劇と、平和を愛する諸国民(連合国)の不正と背信を挙げなければならない。

 かつて満州人は、中華民国と清帝退位協定を締結し武装を放棄した後、中華民国によって清帝退位協定を蹂躙された。

 かつて日本人は、連合国とポツダム条約を締結し武装を放棄した後、連合国によってポツダム条約を蹂躙された。

 そしてチベット人は、中華人民共和国と17ヵ条協定(1951年5月23日、中央人民政府とチベット地方政府のチベット平和解放に関する協約)を締結しチベット人のための独立主権国家と武装を放棄した後、中華人民共和国によって17ヵ条協定を蹂躙されている。

 これら過去の事実が我々に教えてくれることは、国際法が無意味な存在であることではなく、国際法秩序の維持には強制力-軍事力が必要不可欠であるということである。

 我が国が国際紛争を国際法に則り平和的に解決するためには、紛争相手国の武力行使を抑止する軍事力、国際法を犯す相手国や平和的解決を拒む相手国に対して軍事制裁を行う力と意思が必要不可欠なのである。

 日本国の周辺諸国は、抑止力を持たない非武装国や違法行為に対して軍事制裁を発動できない軍事小国に対しても、国際法を誠実に遵守するほど公正で真面目ではない。

 むしろ「水に落ちた犬は打て!」とばかりに襲い掛かってくる国ばかりではないか。日本人が本当に過去を直視しているならば、そのことを誰よりも熟知していなければ、おかしいのである。

 「個人間の社会においても、また国際社会においても、法がある所には違法者があるのは、人間によって構成される社会に免れ難い現象である。

 従って法を維持する為には、法に違反する者に対して其の行為を改むることを強制し、又は其の行為より生じたる結果に対して償いを為す事を強制する手段が存せねばならぬ。

 かかる強制手段の存在の必要は、何れの社会においても共通であるが、其の行使の態様は社会組織の発達の程度、更に詳しくいえば、社会内部における法の制定および執行に関する分業組織の発達の程度によって異なるものであって、原始的なる社会、即ち法に関する右の分業組織の発達せざる社会においては、違法者に対する強制は、社会が其の為に特に設けたる機関の手によって為さるるよりは、社会の組成員たる各個人、例えば被害者自身または其の近親の手に委ねられること多く、これに反して近代国家に在っては、国内に生じたる違法行為の弾圧、違法者に対する制裁は、国家が其の為に設けたる機関によって為さるるを原則とする。

 従って強制は団体の構成員たる個人の手を離れて団体の名によって団体自身の行為として為されるるのである。しかし現在この制度を採用する文明国家といえども其の法律生活の歴史を遡る時は、公権力の組織未だ不完全にして、個人に広範囲の自力救済の権能を付与していた時代がある。

 又これらの諸国は現在においても、個人が国家の手をからずして違法者に向かって直接に強制手段行使することを、限られた若干の場合に認めている。

 例えば正当防衛および留置権の制度の如きがこれである。

 国際法によって規律せらるる社会は、その現在の発達の段階においては、法の制定・執行および強制に関しては個人間の社会がかつて経験せると同一の状態にあるものであって、国際社会はこの社会の法に違反する国家の生ずる時これに向かって社会の名において制裁を加うる公権力を未だ具備しない(中略)。

 故に国際社会は大戦後も大戦前と同様に、国際社会の機関が社会の名においてする制裁または組織化せられたる共同制裁の制度を有せず、従って国際慣習法および条約の違反に対する強制は、社会の組成員が各個に違法者に向かって為す自力救済の方法によってのみ為される。

 国際法上の自力救済は、或る国家の国際法違反に対して、被害者たる国家が同種類又は同程度の行為をもって、これに報いる方法(復仇または報償)によっても為されることがあるが、かくの如き微温的なる手段が被害国の権利を救済する効果を挙げ得ざる場合に、違法国の国際法上の権利の全面的侵害をもってする強制的手段を国際法は認める。これを戦争という。

 第一次大戦前のドイツその他の国際法学者にして、戦争は自然法則の一なるが故に神意に適し、従って善であり、人類に幸福をもたらし、正しき文化の理想に合するものであると説き、戦争が科学の進歩を促し、勇気・服従および犠牲的精神等の美徳を養い、芸術の発達、文明の伝播を援けることを挙げて、その証明とした者がある。

 しかし戦争がもたらす多くの人命および物資の喪失、先人の建設せる文化の跡の破壊が、右の如き若干の利益によって償われるか否かは疑問である。

 しかし戦争の存在は、法の維持のために自力救済に頼る外なき国際社会の現状によって法理的には正当化せられる。

 もちろん自力救済は、法の維持のための手段としては完全なるものではないが、個人間の私闘の廃止が、個人間の紛争を解決する社会の公権力が完備して、これが個人に代わって、まさに違法者に向かって力を行使する制度の下においてのみ可能である様に、国際社会が違法者に対して社会の名において強制を加うる権限と事実上の武力とを具うる機関を具備するまでに発達せざる限り、戦争は一の避け難き人類の不幸として承認せられねばならぬ。」(田岡良一著戦時国際法1938年)

 今日の連合国(国連)機構も、以上の考え方に沿い、連合国憲章第7章に軍事制裁の規定を設け、加盟国に有事即応の空軍派遣団の保持を義務付け(憲章第45条)、かつ連合国の軍事制裁機能が安保理常任理事国の拒否権によって麻痺させられてしまう極めて不完全なものであるが故に、連合国憲章第51条は個別的集団的自衛権を加盟国固有の権利と規定している。

 連合国憲章は、個別的自衛権に基づく戦争、集団的自衛権に基づく戦争、連合国自身が行う戦争、敵国条項に基づく戦争を認めており、国際社会は戦争のルールとして戦時国際法を整備している。それにもかかわらず多くの日本人が依然としてマッカーサー占領軍憲法第9条の改正に否定的な態度を示し、戦争と軍事を盲目的に否定する。

 まぬけなことに現代の多くの日本人は、過去の日本人を欺いた連合国という国際軍事機構を溺愛しているくせに、連合国憲章を無視して第9条を人類の理想などと妄想し、これを吹聴するのだから、まさに異様である。彼らは狂人といっても過言ではないだろう。

 歴史学は、日常生活に役立つ実用的な学問ではない。理数系の学問と比較すれば、歴史学は学問といえるかどうかも怪しい。せいぜい趣味、娯楽、教養の類である。

 しかし歴史を知らない者は、憲法、軍事、外交、経済等々を理解できなくなっていくのだから歴史学の意義とは恐ろしい。

 我が国における学校教育の歴史公民教科書とマスコミの歴史報道が真赤な虚偽に塗れて久しく、「日本はポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏し昭和20年8月15日に太平洋戦争は終結した」と信じて疑わない日本人が後を絶たない。

 彼らは日本国が連合国に騙されたことを知らず、彼ら自身が教師とマスコミに騙されていることに気づいていない。

 我が国は黒いスイスならぬ黒い日本となり、諸外国を徹底的に猜疑し厳重に警戒すべきなのに、日本が周辺諸国に騙された苦い過去を直視せず、スパイ防止法すら制定しようとしない。

 だから、支那人は福沢諭吉が脱亜論を発表した百年前と全く変わっていないのに、日本の政府や企業は、支那に友好を求め、支那人と契約を交わしては支那人に騙され、富を奪われる。

 我が国は既に周辺諸国によって領土と資源を奪われ、国民を拉致されているにもかかわらず、日本の有権者が日本独自の精強な軍事力を再建する強固な信念を持たないから、周辺諸国は不法に日本国の領土と資源と国民を略奪したまま、それらを日本国に返還しようとはしない。

 日本政府は不法行為を繰り返す周辺諸国の顔色を窺い、彼らの機嫌を損ねないために、ひたすら朝貢外交を重ねることしかできない。

 我が国が国防能力を欠く占領軍憲法を護り続ける限り、アメリカ軍に日本国を保護してもらう他になく、当然その代償としてアメリカ合衆国に基地と軍事費を提供し、アメリカ政府の要求を呑み続けなければならないが、占領軍憲法有効護憲派には、このことを理解する能力が無いらしい。だから彼らは反米を叫びながら護憲を訴える矛盾を犯し、恬として恥じない。

 バカは死ななきゃ治らないというが、これが日本国にも当てはまるとしたら、悲しい。
プロフィール

龍井榮侍

Author:龍井榮侍
 東亜連盟戦史研究所は、主として大東亜戦争に関する国民の戦史知識水準の向上を目指して開設されました。

 弊研究所が確信する「正統戦史研究」とは、信用の置ける第一次史料を集め、史料に事実を語らせ、独自の史観を構成することです。だが第一次史料とて作成者の欺瞞、錯誤を含んでいるかも知れず、たとえ紛れもない真実を示していても、所詮それは膨大な歴史的事実のごく一部にすぎません。

 歴史の真実の探求は極めて困難であり、戦史研究において最も留意すべき事項は、間違いが判明すれば直ちに訂正することであり、最も禁忌すべき事項は、「自説保全による自己保身」に走ることです。よって弊研究所は、読者の皆様の建設的な礼節ある御意見、御批判、御叱正を歓迎します。
 
 所長の本拠地は森羅万象の歴史家ブログです。

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