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東京書籍のウソを暴く鈴木安蔵-明治の自由民権派を代表する交詢社系の憲法私案

 東京書籍中学校教科書(平成9~12年度版、採択率41.1%)に掲載されたコラム「新憲法の誕生」は次のように述べる。

 「GHQが政府に憲法の改正を命じると、各政党や民間でも多くの憲法草案がつくられました。そのうち、憲法研究会がつくった草案は、国民主権や基本的人権の尊重の考え方にもとづく画期的なものでした。この会には、憲法学者や自由民権運動の研究者がいて、一八八〇年代、大日本帝国憲法がつくられる前に民間でつくられた、さまざまな憲法草案を参考にし、その精神が受け継がれたからです。そしてその草案はGHQに提出されました。

 政府の憲法改正案は、大日本帝国憲法の字句修正にすぎなかったため、GHQは、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を三つの柱とする案を示しました。それは、形のうえでは日本政府に押し付けられたといえますが、内容の点では、明治時代の自由民権運動以来、国民が望んでいたものがようやく実現したといえるものでした。事実、日本国憲法制定後、国民の圧倒的多数はそれを支持してきました」


 我が国の左翼勢力が称揚する憲法研究会の中心人物にして自由民権運動の研究者であった鈴木安蔵は、「一八八〇年代、大日本帝国憲法がつくられる前に民間でつくられた、さまざまな憲法草案」のうち最も代表的な憲法草案を「憲法制定とロエスレル」(鈴木安蔵著/東洋経済新報社/1942年発行、99~135ページ)に掲載している。鈴木はそれについて次のように述べている。


明治十四年政変当時における民間の支配的憲法論-憲法草案

 我が憲法制定の根本方針は、(明治)十四年政変を機とせる岩倉具視の憲法意見提出によって決定されたのである。岩倉の憲法論の史的意義を理解するには、当時の我が国を支配せる憲法制定・国会開設論、憲法私案の性質を明らかにせねばならぬ。

 明治十三年から十四年にかけて、自由民権運動は全国を風靡し、全国到るところに国会開設請願運動が展開され、立憲政体樹立を要望する大小各種の政治結社が簇生(註、そくせい、簇の意味は「むらがる」)した。

 それらの運動、諸結社の主張するところはそれぞれ異同もあるが、現在の有司専制を廃して立憲政体を樹立する点で軌を同じうした。而してその最も代表的なる憲法意見は立志社ならびに同系の憲法論と交詢社ならびに同系のそれとである。特に交詢社的主張は最も広く普及し共鳴されていたように思われる(中略)。

 しからば交詢社系の憲法論は如何なるものであったか。今その典型的資料として「郵便報知新聞」紙上に明治十四年五月二十日以降六月四日に亙って掲載されし「私考憲法草案」を挙げ得る。代表的憲法草案としては交詢社の「私擬憲法案」を挙ぐべきであるが、この「私考憲法草案」は交詢社案と以下見るごとく多少表現の相違はあるが、その根本趣旨は同一であり、加うるに交詢社案になき条文註解があるので研究に便であるから、これを主として参照しよう。その主要箇条ならびに註解を見れば、略々この派の意見を知り得るだろう。


 交詢社は明治十二年九月二日、福沢諭吉、小幡篤次郎、小泉信吉、阿部泰蔵、江木高遠、荘田平五郎、矢野文雄、中上川彦次郎、藤田茂吉、箕浦勝人、九鬼隆一、門野幾之進、馬場辰猪その他三十一人が会合して設立したもので、彼らは慶応義塾の関係者である。「私擬憲法案」は「交詢雑誌」第四十五号(明治十四年四月二十五日)に発表された。郵便報知新聞の「私考憲法草案」の執筆者は藤田茂吉、箕浦勝人らと推定される。

 交詢社の「私擬憲法案」および郵便報知新聞の「私考憲法草案」の模範はイギリス憲法であるが、両案とも帝国憲法に似ている。とくに天皇の地位と権限に関する条項は帝国憲法に酷似している。いずれも「帝室は直接に万機に当たらずして万機を統べ給う者なり」という福沢諭吉の日本皇室論と同一であり(詳細はこちら)、「主権在民」を掲げていないのである。また皇位継承は古来よりの慣例-不文の大典に拠り、敢えてこれを憲法に掲げない趣旨を述べる「私考憲法草案」第一条註解は、伊藤博文の憲法義解第二条解説とほぼ同じである。

 両憲法案を読み終えた時の所長の感想は、「伊藤博文は交詢社系憲法試案を剽窃して帝国憲法原案を作ったのではないか」というものであった。

 よくよく考えてみれば、帝国憲法の模範がプロイセン邦憲法であるとの俗説が正しくとも、プロイセン邦憲法の模範はベルギー憲法であり、ベルギー憲法の源流はイギリス憲法である。そしてベルギー憲法はプロイセン邦憲法と同じく帝国憲法原案起草の参考資料となっていたから、帝国憲法がイギリス直系の交詢社憲法案に似るのは当然のことであった。

 明治13年から14年にかけて日本全国を風靡した自由民権運動を代表する交詢社系憲法案は帝国憲法によく似ており、「帝室は直接に万機に当たらずして万機を統べ給う者なり」という思想を成文化し、主権在民を規定していない以上、自由民権運動の憲法思想を受け継いだ憲法は大日本帝国憲法である。マッカーサー占領軍憲法(日本国憲法)は帝国憲法違反であるばかりか、明治の自由民権運動の憲法思想からも懸け離れているのである。

 従って日本国憲法が「内容の点では、明治時代の自由民権運動以来、国民が望んでいたものがようやく実現したといえるものでした」という東京書籍中学校教科書(平成9~12年度版、採択率41.1%)の記述は真っ赤なウソである。我が国の公教育は無数の生徒の脳裏にウソとデマを刻み込み、亡国のマッカーサー占領軍憲法を支持する有権者を生産しているのである。

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パル判決が語る慰安婦強制連行説の虚構-林博史の欺瞞

 朝日新聞社の報道によると林博史が、日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを確認したという。ついに朝日新聞社の大反撃が始まったか?

慰安婦強制示す調書、東京裁判に各国検察提出(朝日新聞2007年04月15日03時00分)

 日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公表する。裁判で証拠として採用されたもので、東大社会科学研究所図書館に所蔵されている。

 東京裁判には、日本軍によるアジア各地での住民・捕虜殺害など具体的な残虐行為を立証するために膨大な証拠資料が提出された。今回、林教授が確認したのは、オランダやフランス、中国など各国の検察団が提出した調書や陳述書など。

 インドネシアで、ジャワ島やモア島、カリマンタン(ボルネオ島)で女性たちが強制的に慰安婦にされたことを示す証拠資料が提出されたことが判明したほか、アジア各地で同様のケースがあった。これまで、国立国会図書館所蔵の東京裁判関係資料から尋問調書の一部が確認されていた。

 オランダが提出した、ボルネオ島で海軍の情報機関にいた男性軍属に対する46年3月13日付の尋問調書。日本人と親しくしていた地元女性が日本軍に拘束され、警備隊長に平手打ちをされ、裸で立たされる状況に触れて、取調官が追及する。

 彼女たちを拘束した理由について、男性軍属はこう答えた。「抑留したのは彼らを淫売(いんばい)屋に入れることができるための口実を設けるために警備隊長の命令でなされたのであります」

 46年5月16日付の尋問調書では、ジャワ島の民間抑留者の収容所にいたオランダ人女性が強制的に慰安婦にされたことを証言している。

 44年1月28日、インドネシア人警察官が彼女を含め計7人の女性や少女を日本軍捕虜収容所事務所に連れていき、日本人に引き渡した。さらに車で小さな収容所に運ばれた。同年2月3日に医師による健康診断を受けた際、日本人向けの「娼楼(しょうろう)(brothel)」で働かされることを知ったという。

 「労働日には娼楼は日本将校のために、日曜日午後は日本下士官のために開かれ、日曜日の午前は兵卒等のために保留された。時々一般の日本人が来た。私は常に拒絶したが無駄だった」

 フランスが提出したベトナム人女性の口述書の抜粋には「日本人はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数人に、光安に設けた慰安所(brothel)へ一緒へ行くよう強制しました」とある。

 中国の「軍事委員会行政院」が46年5月27日付で作成した資料は日本軍の桂林での残虐行為に言及、「四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して、妓女(ぎじょ)として獣の如(ごと)き軍隊の淫楽(いんらく)に供した」と記す。東京裁判の判決も桂林の残虐行為に触れた中で、「工場を設立するという口実で、かれら(日本軍)は女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」と認定している。

 一連の資料について林教授は「これらは各国が作成した公文書であり、判決でも強制したことが事実認定されている。サンフランシスコ平和条約で戦犯裁判を受諾した日本には、これらの文書の意味は無視できないだろう」と話している。


 林博史が確認した検察団の証拠資料などは目新しいものでない。共同研究パル判決書(東京裁判研究会編/講談社学術文庫/1984年2月10日初版発行)下巻第六部「厳密なる意味における戦争犯罪」で既に詳しく分析されているのである。所長が以下にそれらの一部を引用する。

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大東亜戦争の真相と近衛内閣の正体を解明する尾崎秀実の論文一覧

 尾崎秀実著作集(勁草書房)は、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実が支那問題の権威として検挙されるまでに発表した多数の論文を収録。尾崎はゾルゲの片腕にして近衛文麿の最高政治幕僚であった為に、彼の論文は、ゾルゲ機関の謀略活動や近衛内閣の軍事外交内政の目的、近衛の正体を余すところなく示唆している。

 特に1937・11~1939・12に発表された論文を収録した尾崎秀実著作集〈第2巻〉1977年は、支那事変の研究に役立つこと絶大である。

 「東亜新秩序論の現在及び将来―東亜協同体論を中心に」(東亜問題昭和十四年四月創刊号)の中で、尾崎は、近衛が彼の同志であり共産主義者であることを示唆しているのだ。

 また「汪精衛政権の基礎」(公論昭和十四年十一月号)は、反共親日を標榜した汪兆銘政権樹立工作の推進勢力の中心人物が共産主義者の尾崎秀実であったことを示す。この事実こそ支那事変と大東亜戦争の真相と近衛内閣の正体を解き明かす鍵である。

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やしきたかじんが日本にもたらした希望の光-戦時国際法から南京大虐殺の真偽を分析する

 平成16年(2004年)10月、若者に人気の「週刊ヤングジャンプ」に掲載されていた本宮ひろ志の漫画『国が燃える』の中の「南京大虐殺肯定史観」に立脚する描写に、国民の猛抗議が殺到し、本宮は非難の集中砲火を浴びて炎上し「国が燃える」の休載に追い込まれた。筆者は、満州事変の頃からこの漫画に朝日新聞の本多勝一史観の腐臭が漂い始めたことを感知して、立ち読みを止めたのだが、案の定、本宮は馬脚を露してしまった。

 朝日、毎日、テレ朝、TBS、NHKなど反日左翼マスゴミは、この事件を右翼の言論弾圧として大々的に取り上げ、本宮を擁護しようとはしない。おそらく彼等は日本国民の変化に戦慄し、本宮の連載休止に彼ら自身の末路を見出して恐怖しているに違いない。本宮に対する国民の猛抗議とは、これまで荒唐無稽な南京大虐殺説を宣伝してきた彼ら反日左翼勢力に対する国民の許し難い憤りと抑え難い憎しみでもあるからだ。

 平成6年5月、永野茂門法相が「南京事件はでっち上げ」と発言し日本国内外の反日勢力から非難の集中砲火を浴び辞職に追い込まれたが、1994年の日本国と2004年の日本国を比べると、隔世の感があり、筆者は歴史家の見習いとして感慨に耐えない。小林よしのりの戦争論やインターネットが多くの日本国民を急速に覚醒させているのであろう。

 テレビマスコミの大半が明日の我が身をかばい「ヤングジャンプ国が燃える」事件を無視する中、勇気を奮ってこの事件を取り上げ、南京虐殺の真偽を議論した読売テレビ「やしきたかじんのそこまで言って委員会」のネットアンケートを見ても、南京大虐殺否定論者が圧倒的多数を占めている。まことに慶賀の至りではあるが、肯定論者は無論のこと否定論者の中にも、首を傾げざるを得ない偏向した歴史観の持ち主が少なからず存在していたことは遺憾であり、未だ正確な戦史の真実が世人に知られていないことを痛感させられる。

 そこで筆者が戦時国際法から南京攻防戦を簡潔に分析してみよう。

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プロフィール

龍井榮侍

Author:龍井榮侍
 東亜連盟戦史研究所は、主として大東亜戦争に関する国民戦史知識水準の向上を目指して開設されました。

 弊研究所が確信する「正統戦史研究」とは、信用の置ける第一次史料を集め、史料に事実を語らせ、独自の史観を構成することです。だが第一次史料とて作成者の欺瞞、錯誤を含んでいるかも知れず、たとえ紛れもない真実を示していても、所詮それは膨大な歴史的事実のごく一部にすぎません。

 歴史の真実の探求は極めて困難であり、戦史研究に於いて最も留意すべき事項は、間違いが判明すれば直ちに訂正することであり、最も禁忌すべき事項は、「自説保全による自己保身」に走ることです。よって弊研究所は、読者の皆様の建設的な礼節ある御意見、御批判、御叱正を歓迎します。
 
 所長の本拠地は森羅万象の歴史家ブログです。

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