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戦後日本の左翼痴識人は無限のルーピーズ-橋下徹に対する山口二郎の迷言

 民主党のブレーン北大教授の山口二郎(1958年7月13日生まれ東京大学法学部卒業)が以下のように呟いて火だるまになった。

「橋下を相手にテレビでしゃべるのは難儀なことでした。大学についてはこれから動きがあると思います。佐藤優さんが橋下の本質はマッカーシズムだと看破していました。橋下現象自体が長続きするとは思いませんが、彼得意の民意の絶対化、教育における顧客主義は続くかも。」

 1995年アメリカ議会が公開したヴェノナ作戦の機密文書は、マッカーシズム(第二次世界大戦直後にアメリカで起きた赤狩り)が正しかったことを証明したのだから、山口二郎の呟きは、橋下が正しくて、橋下をハシズムと誹謗してきた山口自身がマッカーシズムの対象にされるべき売国奴であると認めたに等しい。

 宮崎県の河野俊嗣知事(1964年9月8日生まれ東京大学法学部卒業)は1月17日の定例記者会見で、「大阪都」構想を掲げる橋下徹大阪市長の動向に注目が集まる政治情勢について「国政に閉塞感がある中で、分かりやすく発信力がある勢力に周囲が乗っかり、全体として危ない方向に行かないか危惧している」と批判した。

 河野知事は、過去にドイツでナチスが選挙を通じて権力を掌握した例を挙げ、「ドイツの独裁は、民主主義の過程を経てそうなった。難しい課題ばかりあるが、政権与党には辛抱強く地道な議論を積み重ねることを期待したい」と述べた。

 橋下徹の政策内容や政治手法には毀誉褒貶があって当然である。しかし河野俊嗣が橋下徹をナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)になぞらえて批判したのは、仙谷由人(1946年1月15日生まれ東大法学部中退)が民主党の事業仕分けを中国共産党の文化大革命(20世紀最大級の虐殺事件)になぞらえて自画自賛したことと同じくらい滑稽である。

 どうみても日本のナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)は、思想的にも人脈的にも民主党、社民党、共産党、そして橋下徹と戦っている日教組だからである

 かの朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実は、大正11年(1922年)に第一高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部(現東京大学)に入学し大正14年(1925年)に卒業した後、東大大学院に進学し、一年間在籍し、そこで、大森義太郎が指導する唯物論研究会に参加し、共産主義の研究を行い、狂信的な共産主義者になった

 東大法学部は、おそらく第一次世界大戦後ぐらいから、記憶力に優れる「日本の神童」たちを吸引し、学生に反日左翼的な思想を吹き込み、彼らを立派な売国紳士に育て上げては、政界、官界、法曹界、報道界に送り込む工作機関になっているのだろう。

 そして宮澤俊義、芦部信喜、横田喜三郎らに牛耳られた戦後の東大法学部は、昭和38年に死んだ真っ赤なウソだらけのゾンビ憲法学(詳細は正統憲法復元改正への道標)を学生に刷り込む違憲有効界の魑魅魍魎の楽園になってしまっている。

 東京大学に必要な改革とは秋入学制の導入ではなく、次から次へ有害な反日分子を垂れ流す東大法学部の解体である

<現在の日本政府は頼りにならない。我々一般国民が文部省と日教組と反日マスコミから日本の子供を守るしかない!>

 ソ連が崩壊し、マルクス・レーニン主義が、地獄の門を開く淫祠邪教、人類に大厄災をもたらす思想ペスト菌であることが明白になりました。それにもかかわらず、我が国の公立学校は、日教組(民主党系)、全教組(共産党系)に支配されており、ほとんどの教科書会社は、販売促進の為、彼等に迎合した教科書を製作しており、とくに高校の歴史教科書はおよそ真実とは無縁の反日左翼政治パンフレットに堕落しております(教科書検定の近隣諸国条項という呪い)。

 これを信用すると、戦後の我が国の反日左翼勢力のように、事あるごとに「アドルフ・ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(略称ナチス)を否定する戦後ドイツを見習え」と喚きながら、社会主義を信奉して偏狭なナショナリズムをまといジェノサイドをほしいままにする中国共産党や北朝鮮労働党を礼賛し、社会主義を信奉しながら、ソ連の統制経済一党独裁を模倣した国家総動員法と近衛新体制に象徴される我が国の戦時体制を「軍国主義、ファシズム」といって非難し、ソ連を模倣した我が国の1940年戦時体制を非難しながら、朝日新聞出身のソ連スパイ尾崎秀実と一緒にこれを作り上げた堀江邑一、西園寺公一(戦後共産党)、風見章、帆足計、勝間田清一(戦後社会党)、笠信太郎(戦後朝日新聞)、宗像誠也(戦後東大教授、日教組講師団の一人)といった元近衛内閣の政治幕僚たちを平然と自分達の大幹部に戴き(進歩的文化人―学者先生戦前戦後言質集)、ポツダム宣言に基づき断罪されるべきであった彼等共産主義者を大幹部に戴きながら、「アドルフ・ヒトラーの国家(民族)社会主義ドイツ労働者党(略称ナチス)を否定する戦後ドイツを見習え」と喚くという、全く訳の分からぬ(爆笑)無限のルーピーズになりかねません。

アドルフ・ヒトラー
ヒトラー [DVD]
ナチズム(国家社会主義)と共産主義(マルキシズム)は、同じものである!

 竹本忠雄氏は朝日新聞の「報道犯罪」を次のように暴露しています。

 昨日、ナチス・ドイツとの積極協力者であったメディアほど隠れ蓑として、今日、日独同罪論を叫び立てている実状に気づかねばなりますまい。戦時下、「ユダヤ人を一掃」せよだの、「ドイツ人がユダヤ人を煮て食おうが焼いて食おうが」勝手である、「新秩序建設の軍は即ちユダヤを地上から抹殺する戦ひでなければならぬ」などと書いたのは、『朝日新聞』や『毎日新聞』の記事、社説だったのでありますから

 これは、宮澤正典「昭和前期における大新聞とユダヤ観」早稲田大学社会科学研究所発行『社会科学研究』第九五号所載、1987―1989、所載の引用による記述です(詳細は明治 閃光の記憶)。

 今なおレーニンの亡霊たる左翼教職員が跳梁跋扈する学校教育の現場から日本の子供たちの嫉妬心に憑依する悪魔ルソーマルクスを祓いたい方は、かつて反日革命を目指し反日亡国闘争を行った元極左過激派の死刑囚大森勝久氏を保守主義者に転向させた正統の哲学 異端の思想を座右に置いてください。そうすれば日本国民の心からルソーマルクスは退散するでしょう。

 そしてキレイさっぱり心のアカを洗い流した日本国民が戦前の偉大な教育者の杉浦重剛を思い出し、昭和天皇の学ばれた杉浦の教育勅語解説を読めば、日教組と全教組の余りに酷い反日的な洗脳狂育に怒り、知事と市長に戦前の道徳教育の復活を求める輿論が盛り上がります。日本国の左翼教職員たちは、ノイローゼになるでしょう

 反革命歌である「君が代」の伴奏を強いられた大阪のある音楽教師は、ストレスのあまり胃から出血し緊急入院し、動脈の8カ所で止血を施すほどの重症を患ったそうです。

 とどめに、君が代のすべてと遂に復刻した皇紀二千六百年奉祝楽曲集/玉音放送をノイローゼで入院中の左翼教職員に聞かせてあげましょう。彼等の聴覚と脳髄が崩壊して、戦後民主主義の洗脳狂育は終焉するでしょう。

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東京書籍のウソを暴く鈴木安蔵-明治の自由民権派を代表する交詢社系の憲法私案

 東京書籍中学校教科書(平成9~12年度版、採択率41.1%)に掲載されたコラム「新憲法の誕生」は次のように述べる。

 「GHQが政府に憲法の改正を命じると、各政党や民間でも多くの憲法草案がつくられました。そのうち、憲法研究会がつくった草案は、国民主権や基本的人権の尊重の考え方にもとづく画期的なものでした。この会には、憲法学者や自由民権運動の研究者がいて、一八八〇年代、大日本帝国憲法がつくられる前に民間でつくられた、さまざまな憲法草案を参考にし、その精神が受け継がれたからです。そしてその草案はGHQに提出されました。

 政府の憲法改正案は、大日本帝国憲法の字句修正にすぎなかったため、GHQは、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を三つの柱とする案を示しました。それは、形のうえでは日本政府に押し付けられたといえますが、内容の点では、明治時代の自由民権運動以来、国民が望んでいたものがようやく実現したといえるものでした。事実、日本国憲法制定後、国民の圧倒的多数はそれを支持してきました」


 我が国の左翼勢力が称揚する憲法研究会の中心人物にして自由民権運動の研究者であった鈴木安蔵は、「一八八〇年代、大日本帝国憲法がつくられる前に民間でつくられた、さまざまな憲法草案」のうち最も代表的な憲法草案を「憲法制定とロエスレル」(鈴木安蔵著/東洋経済新報社/1942年発行、99~135ページ)に掲載している。鈴木はそれについて次のように述べている。


明治十四年政変当時における民間の支配的憲法論-憲法草案

 我が憲法制定の根本方針は、(明治)十四年政変を機とせる岩倉具視の憲法意見提出によって決定されたのである。岩倉の憲法論の史的意義を理解するには、当時の我が国を支配せる憲法制定・国会開設論、憲法私案の性質を明らかにせねばならぬ。

 明治十三年から十四年にかけて、自由民権運動は全国を風靡し、全国到るところに国会開設請願運動が展開され、立憲政体樹立を要望する大小各種の政治結社が簇生(註、そくせい、簇の意味は「むらがる」)した。

 それらの運動、諸結社の主張するところはそれぞれ異同もあるが、現在の有司専制を廃して立憲政体を樹立する点で軌を同じうした。而してその最も代表的なる憲法意見は立志社ならびに同系の憲法論と交詢社ならびに同系のそれとである。特に交詢社的主張は最も広く普及し共鳴されていたように思われる(中略)。

 しからば交詢社系の憲法論は如何なるものであったか。今その典型的資料として「郵便報知新聞」紙上に明治十四年五月二十日以降六月四日に亙って掲載されし「私考憲法草案」を挙げ得る。代表的憲法草案としては交詢社の「私擬憲法案」を挙ぐべきであるが、この「私考憲法草案」は交詢社案と以下見るごとく多少表現の相違はあるが、その根本趣旨は同一であり、加うるに交詢社案になき条文註解があるので研究に便であるから、これを主として参照しよう。その主要箇条ならびに註解を見れば、略々この派の意見を知り得るだろう。


 交詢社は明治十二年九月二日、福沢諭吉、小幡篤次郎、小泉信吉、阿部泰蔵、江木高遠、荘田平五郎、矢野文雄、中上川彦次郎、藤田茂吉、箕浦勝人、九鬼隆一、門野幾之進、馬場辰猪その他三十一人が会合して設立したもので、彼らは慶応義塾の関係者である。「私擬憲法案」は「交詢雑誌」第四十五号(明治十四年四月二十五日)に発表された。郵便報知新聞の「私考憲法草案」の執筆者は藤田茂吉、箕浦勝人らと推定される。

 交詢社の「私擬憲法案」および郵便報知新聞の「私考憲法草案」の模範はイギリス憲法であるが、両案とも帝国憲法に似ている。とくに天皇の地位と権限に関する条項は帝国憲法に酷似している。いずれも「帝室は直接に万機に当たらずして万機を統べ給う者なり」という福沢諭吉の日本皇室論と同一であり(詳細はこちら)、「主権在民」を掲げていないのである。また皇位継承は古来よりの慣例-不文の大典に拠り、敢えてこれを憲法に掲げない趣旨を述べる「私考憲法草案」第一条註解は、伊藤博文の憲法義解第二条解説とほぼ同じである。

 両憲法案を読み終えた時の所長の感想は、「伊藤博文は交詢社系憲法試案を剽窃して帝国憲法原案を作ったのではないか」というものであった。

 よくよく考えてみれば、帝国憲法の模範がプロイセン邦憲法であるとの俗説が正しくとも、プロイセン邦憲法の模範はベルギー憲法であり、ベルギー憲法の源流はイギリス憲法である。そしてベルギー憲法はプロイセン邦憲法と同じく帝国憲法原案起草の参考資料となっていたから、帝国憲法がイギリス直系の交詢社憲法案に似るのは当然のことであった。

 明治13年から14年にかけて日本全国を風靡した自由民権運動を代表する交詢社系憲法案は帝国憲法によく似ており、「帝室は直接に万機に当たらずして万機を統べ給う者なり」という思想を成文化し、主権在民を規定していない以上、自由民権運動の憲法思想を受け継いだ憲法は大日本帝国憲法である。マッカーサー占領軍憲法(日本国憲法)は帝国憲法違反であるばかりか、明治の自由民権運動の憲法思想からも懸け離れているのである。

 従って日本国憲法が「内容の点では、明治時代の自由民権運動以来、国民が望んでいたものがようやく実現したといえるものでした」という東京書籍中学校教科書(平成9~12年度版、採択率41.1%)の記述は真っ赤なウソである。我が国の公教育は無数の生徒の脳裏にウソとデマを刻み込み、亡国のマッカーサー占領軍憲法を支持する有権者を生産しているのである。

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プロフィール

龍井榮侍

Author:龍井榮侍
 東亜連盟戦史研究所は、主として大東亜戦争に関する国民戦史知識水準の向上を目指して開設されました。

 弊研究所が確信する「正統戦史研究」とは、信用の置ける第一次史料を集め、史料に事実を語らせ、独自の史観を構成することです。だが第一次史料とて作成者の欺瞞、錯誤を含んでいるかも知れず、たとえ紛れもない真実を示していても、所詮それは膨大な歴史的事実のごく一部にすぎません。

 歴史の真実の探求は極めて困難であり、戦史研究に於いて最も留意すべき事項は、間違いが判明すれば直ちに訂正することであり、最も禁忌すべき事項は、「自説保全による自己保身」に走ることです。よって弊研究所は、読者の皆様の建設的な礼節ある御意見、御批判、御叱正を歓迎します。
 
 所長の本拠地は森羅万象の歴史家ブログです。

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