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国民のための大東亜戦争正統抄史78鈴木内閣の失策

【鈴木内閣の失策】


78、種村佐孝の狂気

 昭和二十年三月二十七日の硫黄島陥落は、我が日本国から完全に継戦能力を奪い去ったと言っても過言ではない。アメリカ軍は、硫黄島に長距離制空戦闘機P―51を配備し、サイパンから発進するB―29の援護に当たらせた為、我が国はアメリカ軍による日本本土無差別爆撃に対抗する手段を失い、全都市は灰燼と化していった。

 四月一日、アメリカ軍は、第五十八機動部隊(空母十五隻基幹)、イギリス機動部隊(空母四隻基幹)、アメリカ第十軍(歩兵四個師団、海兵三個師団)十八万三千人を揃えて、日本列島と南方地域、マリアナ諸島と朝鮮半島支那大陸を中継する東アジアの戦略要衝である沖縄への上陸作戦を開始し、六日には戦艦大和を旗艦とする我が帝国海軍残存艦艇十隻が沖縄を救援すべく出撃したものの、翌日、アメリカ軍の艦載機によって大和以下六隻が撃沈され失敗、もはや我が国の完全敗北は誰の目にも明らかであった。それにも拘わらず陸軍中枢は強硬であった。

 小磯内閣が総辞職した四月五日、陸軍省軍務課(昭和二十年四月二十三日、陸軍省と参謀本部のニ位一体制により参謀本部戦争指導班と合併)は、重臣会議終了後、鈴木貫太郎海軍大将が宮中に残ったという情報を得て、鈴木大将への大命降下を必至とみなし、次期内閣に対する要求として、大東亜戦争の完遂、陸海軍の統合、本土決戦の準備、対ソ施策の促進、戦争遂行妨害分子の絶滅を挙げ、鈴木新首相にこれ等を受諾せしめ、十五日には、陸軍憲兵隊が、昭和天皇に捧呈された(昭和二十年二月十四日)近衛上奏文を基本綱領として敗戦革命を阻止し我が国を破滅から救出する為に米英との早期直接和平の実現を模索していた吉田茂、岩淵辰雄、殖田俊吉らを検挙した(日本バドリオ事件)。

 陸軍省軍務課が政府に要求した「対ソ施策」の具体案は、二十九日、軍務課高級課員の種村佐孝大佐によって作成され、翌日に参謀総長次長および陸軍大臣次官に具申されたのであるが、これは「一億玉砕」の提唱者の一人である種村ばかりか、二・二六事件以降、陸軍省部の主導権を把握していった統制派革新幕僚の正体および我が国の対支米英戦争の本質を赤裸々に示す貴重かつ深刻な戦争指導史料である。以下はその全文である。

大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌

昭和二十年四月二十八日土曜
一、対支政謀略ニ関シ曩ニ西浦大佐出張ノ節内示セルニ全然同意ニシテ万難ヲ排シ実行スル旨来電アリ、直チニ大陸指ヲ発動セラルルト共ニ次長次官ヨリ激励電ヲ発セラル。

昭和二十年四月二十九日日曜
一、天長佳節
  祝意ハ敵撃滅ノ戦意トナリテ表ハル
一、独崩壊ノ報来る。宿命カ。
  之ガ処理ニ関シ
   大詔喚発
   第三十一条ノ取扱
   対ソ施策ノ方法
  等ニツキ書記官長軍務局長ヲ中心ニシテ協議スルトコロアリ

昭和二十年四月三十日月曜
一、「今後採ルベキ対ソ施策ニ関スル意見」並ニ之ニ基ク対ソ施策要綱ヲ起案 種村ヨリ大臣総長次長次官ニ意見ヲ具申ス。

今後の対ソ施策に対する意見 昭和二十年四月二十九日、種村佐孝大佐(1)

一、要 旨

 今更ら申すべきに非ざるもソ連の対日動向は帝国の大東亜戦争遂行に致命的影響を及ぼしていることは大東亜戦争開始前以来の戦争指導上の最大関心事であった。而して此のソの対日動向を大東亜戦争の終末迄中立的態度を維持せしめ得れば戦争指導上満点で在る。今日迄日ソ中立条約に依存して帝国は日ソ間の関係を危げ乍も維持してきたのであるけれども今や日ソ中立条約破棄通告を受け且独崩壊したる現状に於ては遺憾乍ら日本独力に依りソの中立態度を維持せしめ得べき何等の根拠をも持っていない。此に帝国としては戦争指導上最大の不安焦慮に襲われ来った次第である。然し之は本質的に見れば既に開戦当時以来内在して居た問題で見様によっては如何ともし難い問題とも考えられる、其処で現下に於ける対ソ施策は恰も剣ケ峰に押された相撲取が打つ棄りに成功するか或いは押し切らるるか、大体九対一、全く捨身の戦法にあらざれば成功し難い本質的なものであることを深く期して九死に一生を得る積りで本施策実行に邁進しなくてはならない。若し成功しなかった場合は何とかなると考えても何ともならず其の時は押し切らるる許りで在る、今日に於ては其の様な幅はない。成功しなかった場合とは何ぞや、ソが日本と同調せず米と同調した場合で在る。ソが米と同調するとは何ぞや、日ソ交渉即対米交渉となり且帝国が求めて無条件降伏なるが如き事態に放り込まれた場合である。其処で今後の対ソ交渉に当っては其の目的と限度と方法とを確立して掛らなければ火遊びとなる危険極めて大である。況や対ソ交渉即世界終戦(対米屈伏)として自己の戦意を「カモフラージュ」して本交渉を行わんとする徒輩なきにしもあらず。故に厳に警戒を要する点である。

二、世界終戦より見たる所の対ソ施策      

 大凡今次戦争の終末を如何なる規模と様相に於て求めんとするやは戦争指導者の特に留意し念頭から去ってはならない点で在る。然らば戦史的に見て此の大戦争の終末はうやむやな形で持っていけるかどうか、最後迄頑張るだろうと考えた独逸は今日あの形で終末を見んとしつつある所を考えると帝国の今後の戦争指導には前途に極めて多難なるもの存することを予期せらる。飽く迄戦うと強く強調すればする程如何にして勝つべきやと云う方法論に於て戦争指導者は勿論国民上下を挙げて疑念を招来すべきは蓋し止むを得ない事情である。作戦必勝の道なき所に戦勝の光明などが存在しよう筈がない、況や作戦の必勝なきとき外交に依り情勢の展開を計らんとするが如きは屈伏への努力か然らずんば作戦必勝への補助手段かの何れかに存する。屈伏への努力であったなら相手が如何に強かろうと即座に出来る、然し条件は許されない、作戦必勝への補助手段であったならば其の成功の公算は作戦の難易に正比例する、其処でどうしても作戦必勝の道なしとすれば之が補助手段ある外交の道も存在しないと見るも過言ではあるまいか。

 其処でつらつら帝国現下の作戦の推移を考察するとき今後の対ソ施策に殆ど期待を懸け得られない様な気がする、若し期待を懸けるとしたならば終戦方策としての対ソ交渉に転移すべきではないかとの考えが起って来るのも無理からぬ点である。戦争指導者としても一応此の点に就いて考えて見る必要が有るのでは無いか、只作戦の推移如何に不拘今後の対ソ施策に成功の公算ありとすればソ米の対日及対支問題に関する離隔を求め得るや否やに存する。此の一点が九死に一生を得る所の対米英戦争完遂の為の対ソ施策なりと云うべきで在る。  

 然しあっさり考えて米英との戦争を中止して国体を護持し帝国本土を守って此の辺で戦争を終ろうと云う軽い考えを以て対ソ施策に臨んだら何うかと云う考えも起るであろうが、相手のある戦争で在る、そうは易々問屋は卸して呉れない、仮令一時対米終戦に関する外交交渉成功するも米は偽装停戦して我が戦意を喪失せしめたる後必ず大問題を吹掛けて来るに違いない。其の大問題とは国体の破壊以外の何物もあるまい、日本民族の根を止めるのは皇室を抹殺する以外に無いことは彼等も充分知って居る、其処で世界終戦の見地から見ても帝国の対ソ施策は深刻なる場面に追い込まるることは当然覚悟しなくてはならぬ。

 作戦も外交も戦争も之れ悉く最後の紙一重の所で勝敗を決する、今や帝国の戦争必勝への道は外交でもなく経済でもない、本土に於ける天皇に奉仕し奉る一億特攻の団結と之に依る作戦必勝への努力以外に何物も無い、対ソ施策に依って帝国の運命を打開しようなぞと思って之に多くの期待を仕様としたならば之が成功しなかった場合に於ける反作用を考うるとき其の危険極めて大である。

三、対ソ施策の目的

 以上の見地に基いて対ソ施策は飽く迄対米英戦争完遂の為の対ソ施策でなければならない、即ち対米英戦争完遂上日ソ戦絶対回避の為の施策でなければならない、此の点を明かにして対ソ施策に進むべきである、何処迄も米英の戦意を喪失せしむる迄戦うのである、戦わんが為に必要なる対ソ施策を行うのである、万一飽く迄戦うと云う決心の無き対ソ外交であったならば危険此上もないことは既に述べた通りで在る。

 而して本目的達成の為ソ側に確約せしむべき条件は日ソ同盟なりや、日ソ支同盟なりや、ソの対米厳正中立なりやの何れかに存す。

 然るに日ソ中立条約の破棄せられたる今日此中の何れをも確約せしむることは余程の神業であり余程の「チャンス」を掴まない限り困難なることと云わねばならぬ。

 此処に於て本目的達成の為如何なる形式にてソの対日態度を確約せしむべきやは本施策成否の鍵とも云うべきで在る、下手をするとソ連よりも背負投を食わされ取らるる物は皆取られて何にも得る処なく日ソ戦争に導入せらるる虞なきにしもあらずで在る。

四、対ソ施策実施上我方の譲歩すべき条件

 前項目的達成の為必要なる条件は悉く之を停止し譲歩し開放し断念するに吝であってはいけない、換言すればソ側の言いなり放題になって眼を潰る、日清戦争後に於ける遼東半島を還付した悲壮なる決心に立換ったならば今日日本が満洲や遼東半島や或いは南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨てて日清戦争以前の態勢に立還り、明治御維新を昭和御維新によって再建するの覚悟を以て飽く迄日ソ戦を回避し対米英戦争完遂に邁進しなくてはならない、三千年悠久の歴史から考えて見たならば過去五十年の変化の如きは民族興亡の一波瀾として考えればよいではないかとあっさり考えられないでもない。然し要は帝国に対するソ側の要求程度如何に存する。若しソ側が以上の如き要求を提示し来つた場合はどうするか、其の時は既にもうソが米英と完全に手を繋いだ時で在る。日清戦争前の態勢にかえってもソと戦をしないか、真逆ソとしてはそんな無理は云うまいと思われるけれ共帝国としては此の肚を以て日ソ戦争を絶対に回避すべきであって其処迄肚を極めて対ソ交渉に移るべきである、移った以上ソ側の言い分を待って之に応ずると云う態度に出づるべきで在る、我より進んで以上の諸条件を展開することの適当ならざるは外交掛引上から云っても当然考慮せらるべき点である。

 次は支那に対してソ連が如何なる要求を出すであろうか、之は人の褌で相撲を取る様なものでソ側としては余り乗って来ない問題であると思う。

 一時支那の大陸を米英の勢力下に置くも現下に於てソ連の戦争指導としては止むを得ないであろうと考えられる、今度の戦争で支那問題の為にソ連が米英と戦をするだろうと考えることは先ず先ず無いと云うも過言ではあるまい、従て仮令帝国が延安の本質を確むることなく其の共産色なるを以て之を餌にしてソ連を支那方面に誘導し様と思っても中々難かしい問題ではあるまいか、只現下帝国が帝国軍の勢力下にある支那の占領地域を直ちに延安とソ連に引き渡し得たとしても苟くも民族意識の旺盛なる支那民衆が直ちに日本軍に代るにソ連を以てして満足するであろうかどうか、斯る場合結局延安はソ連にあらずして支那民衆本来の姿に返るのではないか、然らずんば表面飽く迄ソ連との関係は断切って進むのではあるまいか、何れでも宜しい、支那に於ける帝国軍の犠牲と支那民衆の犠牲とに於てソ連を此の方面に誘導し支那大陸に於て米ソを確執せしめ得れば帝国の為幸甚此の上もないことであろう。

 然る場合重慶の態度は固より延安と同調すべく、重慶と雖も支那民族あっての重慶であり抗日せんが為に米英に依存したのである。日本が支那大陸より撤退したる上は何を好んで米英と提携すべきであろうか、重慶亦支那民族本来の姿に還って延安と対外的には相提携するであろう。

 国内問題として彼等が対立すべきことあるべきは支那民族五千年の歴史から考えて見ても永久に絶えないであろう。

 若し斯くの如き情勢に於て米英が支那大陸に上陸し若くは支那大陸に盤踞するが如きことあらんか、其の不幸は支那事変以上支那民族の不幸であることは彼等が一番良く知って居る筈である、即ちソ連が乗って呉れさえすれば支那問題を中心とする日ソ支の結合提携は誠に面白い問題である、成否を超越して心掛くべき施策ではあるまいか。

 然し其の成功の公算たるや九対一以上困難であることを覚悟しなければならない。但し嘗て己の力の及ばざるにソ連を西亜に向わしめ或は印度に向わしめんとして日ソの提携を計らんとしたことと比較すれば情勢の推移とは申せ数歩を進めた現実的なる命題である。 

 又南方地域に於ても帝国軍の現存する限り戦争終末の形態に於てソ連に能う限りの発言権を与うべく協力するに吝かであってはならない。

五、対ソ施策実施要領

 以上を考察すると帝国の採るべき対ソ施策は誠に至難を極むると云うも過言ではない。従て之に当るべき人は天下の至宝を以てしなくてはならぬ、現在其の所の人を得ずとせば其の所を得た人を以て之に当てなくてはならない。

 何れにしろ帝国の決心次第である、帝国の決心なくして人を探さんとするも人来らず、又帝国の決心さえあればどんな者でも誠意さえあれば先方に通ずるとも言える、決心と人選両者併立し得た時に満点である。

 必要とあらば三顧の礼を以て之を迎えるに躊躇してはならない。

六、対ソ施策と対支施策との関係

 以上の見地に基いて今後採るべき帝国の対ソ施策と対支施策とは一貫性がなくてはならない。

 右の見地よりすれば対支政謀略の重点は白紙的に考うれば延安に施行せらるべきが当然であろう、然るに此度採られたる対支政謀略の重点は重慶に指向せられ延安は補助若くは牽制として定められて居る。

 然し重慶も延安も同じく支那民族である、然も重慶とは糸が続いて居り又続け得る目途がある、然し延安に対しては昨年七月延安政権と呼称することを定めたる当時に於てさえ何彼と言を左右にして之を実行する意志がなかったのが現地の空気である。

 従て現在迄に何等昨年発せられたる大陸指示(註、大本営陸軍部指示)に基く具体的措置をも掴んでいない。

 こんな海の者とも山の者とも判らないものに手を差し伸べても其の成功への見透しが全くつかない。

 然も重慶も延安も抗日と云う見地に於ては同一歩調であることは支那事変以来国共抗日合作の経緯によるも明かである。

 従て重慶との間に手が握れたならば延安との間にも手が握れる筈である。

 其処で先ず公算のある重慶に向って重点を指向せられ之との間に停戦を企図せられたのは当然のことである、此処に尚注意すべきことは対重慶交渉即対米交渉になる虞のあることは対ソ交渉即対米交渉となる虞と同然と云うことである。

 右の見地から此の度の大陸指示に於ても対重慶全面和平とすることなく「重慶との停戦に努む」とし支那民族の覚醒を促さんとした所以である、之を要するに今後採らんとする対ソ施策と此度発動せられたる対支施策との間に何等間然する処なしと云うべきである。

七、対ソ施策と今後の作戦準備との関連

 今後に於ける帝国の対ソ態度は絶対対ソ戦回避に存するを以て今更ら対ソ戦生起を前提として行うところの作戦準備は厳に反省を要すべし。即ち大陸全般に於ける作戦準備及兵力運用の方針は飽く迄対米英戦完遂を目標とし堅実不敗の地歩を確立するを主眼として施策せらるべく一方ソに対しては対日態度の悪化を防止し且今後採るべき対ソ施策の後拠支援たらしむべきものとす。

八、対ソ施策の転換

 以上の考慮に基きて捨身で発足した対ソ施策も途中に於て其の目的及対象を転換せざるを得なくなる場合のある事を認識する必要がある。其は即ちソの仲介若くは恫喝に依り世界終戦への導入を余儀なくせらるることである帝国としては対ソ施策に発足した以上否応なしに其の仲介若くは恫喝に従わざるを得ない。然らずんば日ソ戦を賭するより外はない。其では対ソ施策の目的を抹殺してしまう事になる。即ち間接的とは云え我が最も好まざる対米和平交渉に転換せざるを得ないのである。若し之を恐れるならば対ソ施策は行わざるに不如。対ソ施策を行わんとせば当然本事態の到ることを覚悟の上で発足しなければならない。此処に対ソ施策の困難性があり微妙なる因子が内存しある所以である。今や此の危険性に躊躇して居る時ではない。大東亜戦争完遂を目標に一途に対ソ施策に前進すべきであって若し本情況の如きが発生したならば大東亜戦争の宿命と覚悟するより外はあるまい。

 以上捨身の対ソ施策を発足せんとするに当り戦争指導の見地に於て政戦両略に亘り忌憚なき小官の信ずる所を述べ上司御決断の御参考に資す 。天長の佳節記す、独屈伏の報を聞きつつ。


対ソ外交交渉要綱 昭和二十年四月二十九日、種村佐孝大佐

方 針

 帝国は飽迄対米英戦争を完遂する為日ソ戦回避を絶対の条件とし東亜問題に関し日ソ支の結合を強化し止むを得ざる場合も大東亜戦争間ソの対日厳正中立を目標とし徹底せる施策の下速かに対ソ交渉を行う。此の間情勢の推移に依り戦争終末に導入することあるを予期す。 

要 領 

一、本施策は飽く迄対米戦を完遂するを本旨とし之が為帝国竝満支の犠牲に於てソを我が方に誘引し為し得る限り支那大陸に於ける米英ソの確執を激成するを主眼とす。

二、対ソ交渉に当り我が方の提案すべき腹案要旨左の如し。

 米英の世界侵略就中東亜に於ける野望に対し日ソ支は善隣友好互助提携相互不侵略の原則の下に強固に結合し以て相互の繁栄を図るを目的とし帝国はソ連邦に対し左記を確約す。

1、満洲国に於ける居住営業の自由。
2、支那に於けるソ連勢力特に延安政権の拡大強化要すれば其の希望する地域より日本軍の撤退。
3、南方占拠地域に於ける戦後所望する権益の譲渡。
4、満洲国及外蒙共和国は本施策に同調すること。
支那に於ける交渉の対象は延安政権とするも差支なきこと。之が為要すれば国民政府を解消せしむ。

三、ソにして前項交渉に当り強硬に要求するに於ては左記を容認することあり。

1、北鉄の譲渡
2、漁業条約の破棄
3、満洲国、満鉄、遼東半島、南樺太朝鮮等につきては解消若くは譲渡することあるも当時の情勢に依り之を定む。

四、対ソ交渉に当り其の仲介若くは恫喝に依り世界終戦への導入を強要せられたる場合に於ては之に応ずることあるを予期す、其の場合に於ける条件は別に定むるも概ね前諸項に準じ極力帝国の地位を有利ならしむるに努む。

五、世界情勢の転換就中独崩壊後に於ける欧州処理を中心とする米英ソの確執激化せるの機に投じ対ソ施策の急速なる進展を図るものとす。
 註、本施策は外務大臣自ら赴ソし若くは特派使節を派遣して乾坤一擲の断を下さんとするに在り(1)。


 五月七日、遂にドイツが連合軍に無条件降伏し、ソ連がヤルタ密約(昭和二十年二月)に基づき対日参戦を果たすべく、ヨーロッパから満ソ国境付近に続々と大軍を集結させていたにも拘わらず、陸軍中枢の親ソ反米方針に押し切られた鈴木内閣は、十四日、対米英戦を継続しながらソ連に対し、我が国の譲歩と引き替えに、対日参戦防止、好意的中立、米英との和平仲介を要請することを決定してしまった。それが以下の六巨頭会談の決定である(2)。 

 昭和二十年五月十一日、十二日及十四日に亘り最高戦争指導会議構成員(註、鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相、梅津参謀総長、及川軍令部総長)のみを以てせる会議に於て意見一致せる所左の如し。

 日ソ両国間の話合は戦局の進展に依り多大の影響を受くるのみならず、其の成否如何も之に由る所大なるべきも、現下日本が英米との間に国力を賭して戦いつつある間に於てソ連の参戦を見るが如きことあるに於ては帝国は其の死命を制せらるべきを以て、対英米戦争が如何なる様相を呈するにせよ帝国としては極力其の参戦防止に努むる必要あり。尚我方としては右参戦防止のみならず、進んでは其の好意的中立を獲得し、延いては戦争の終結に関し我が方に有利なる仲介を為さしむるを有利とするを以て、此等の目的を以て速に日ソ両国間に話合を開始するものとす。

 我方としてはソ連が今次対独戦争に戦捷を得たるは帝国が中立を維持せるに依るものなることを了得せしむると共に、将来ソ連が米国と対抗するに至るべき関係上日本に相当の国際的地位を保たしむるの有利なるを説き、且又日ソ支三国団結して英米に当たるの必要あるを説示し、以てソ連を前期諸目的に誘導するに努むべきもなるも、ソ連が対独戦争終了後其の国際的地位向上せりとの自覚並に近来帝国の国力著しく低下せりとの判断を有し居ること想像に難からざるを以て、其の要求大なるを覚悟する必要あり。

 而して右ソ連の慾求は「ポーツマス」条約の廃棄を主眼とすべき処、帝国としては極力其の軽減に努むべきは勿論なるも、該交渉を成立せしむる為には「ポーツマス」条約及日ソ基本条約を廃棄することとし結局の所、

(イ)南樺太の返還、
(ロ)漁業権の解消、
(ハ)津軽海峡の開放、
(ニ)北満に於ける諸鉄道の譲渡、
(ホ)内蒙に於けるソ連の勢力範囲、且
(ヘ)旅順、大連の租借を覚悟する必要あるべく場合に依りては千島北半を譲渡するも止むを得ざるべし。

 但し朝鮮は之を我方に留保することとし、南満洲に於ては之を中立地帯となす等出来得る限り満洲帝国の独立を維持することとし、尚支那に就ては日ソ支の共同体制を樹立すること最も望ましき所なり。

 この六巨頭会談の決定は、東アジアを共産化に導く愚劣な外交方針であったばかりか、我が国の政府がローマ法王庁に日米和平の仲介を依頼するための好機を潰してしまった。

 昭和十六年十一月二日、国策再検討終了後の東條首相上奏の際に、昭和天皇は、我が国とローマ法王庁との間に連絡のある事が戦争の終結時期において好都合なるべき事、又世界の情報蒐集の上にも便宜あることならびに、法王庁の全世界に及ぼす精神的支配力の強大なること等を考えて、東條首相に「時局収拾にローマ法王を考えてみては如何かと思う」と提案され、バチカン市国への公使派遣を要望された(3)。東條内閣はこれに同意し、東郷外相はバチカン特派公使としてフランス大使館参事官の原田健を起用することに決め、この人事を昭和十七年(一九四二)二月二十四日の閣議に附議決定、上奏御裁可を経て二十六日に発令し、外務省は次の談話を発表した(4)。

 「今般政府はローマ法王庁との友好関係を一層緊密ならしむ目的をもって原田公使をヴァチカン市へ特派するに決定した。現下世界の情勢に鑑み、かつ大東亜圏内に多数のカトリック教徒を包含する実情等より見て帝国と法王庁との親善関係が増進せられ連絡が一層緊密化せらるることの有意義なるはあえて贅言を要せざるところである。」

 同年三月十四日、ローマ法王庁は対ソ並びに対日関係に関し次のような発表を行いその立場を明らかにした(5)。すなわち法王庁としては現在の世界大戦に対して飽くまで中立的立場をとるが、カトリック教会は依然反ソ的態度をとるであろうとし、これに反して日本に対しては左のごとき四ヶ条の理由から全然別個の関係であるものと認めたのである。

一、日本は信仰の自由を認めている。
一、カトリック教は日本国内で公認されている四つの宗教の一つになっている。
一、従来多年にわたりローマ法王庁と日本との間には親善関係が結ばれている。
一、現在日本には法王庁よりの使節が駐在しており、従って日本よりの外交使臣が法王庁に対し派遣せられるのは別に事新しいことではなく従来から存していた友好関係を具体化したに過ぎない。

 ローマ法王庁は一九三四年四月二十日に満洲国を布教上支那から分離し個別独立の教区とすることに決定し、法王代理ガッテ司教に外交大臣の謝介石を公式訪問させ敬意を表し満洲国と法王庁の親善関係促進を希望するなど親日的であり、第二次世界大戦に対して中立を標榜しながら我が国との親善関係を維持する一方で、イタリアが連合軍に降伏しローマがアメリカ軍の保護下に置かれた後は、アメリカとの関係を深めていた。

 アメリカの戦略事務局(OSS、CIAの前身)のバチカン担当者エール・ブレナンは、戦略事務局長官ウイリアム・ドノバンの命令を受け、一九四四年末より情報活動を展開していたが、ドイツの降伏後には法王庁の対米問題担当者ヴァニョッチを通じて日本政府に対する接触を試みた。

 一九四五年五月二十七日、ヴァニョッチは日本公使館の教会関係顧問を務めていた富沢孝彦司祭を訪ね、「数ヶ月来ローマに在る一米人より和平問題に関し日本側と接触したきに付き橋渡しを依頼したし」と申し出、日本側の回答を督促した。日本の駐バチカン特命全権公使の原田健は、この申し出の目的と信憑性を疑いつつ、六月三日にバチカンから東京の東郷茂徳外相に宛てて次のように打電した(六月五日本省着)。

 「二十七日、前駐米法王使節館参事官にして目下国務省に在るヴァニョッチ司教は当館嘱託富沢司祭を来訪の上、実は数ヶ月来ローマに在る一米人より和平問題に関し日本側と接触したきに付、橋渡しを依頼したしとの申出あり。

 先方の身分氏名等は申上げ得ざるが其の父親は社会的に相当有力なる人士なり。本人がカトリック教徒にして真面目なる人物なるが公の地位を有するものに非ず。

 もっとも先方はいよいよ交渉の段取りとならば公の人間を以て之に当たらしむる用意ある旨述べ居たりと為し、本件申出の事由としては欧州戦争終結せるも其の後のソ連の態度により政局ますます悪化の徴あり、翻て極東においてはソ連は恐らく戦争の最後の段階に参戦し満洲を手中に入れ中国共産政府を使嗾して其の地盤を確保せんとすべしと察せられ、他方従来の戦績を顧みるも米側において今後必ずや多大の犠牲を要すべく、また日本側に取りては既に戦勝の見込無しと断じ得べしと為すにあり、また米側休戦条件として差当り忖度し得るものは占領地の還附、陸海軍の武装解除、朝鮮の占領等にして国体問題には触れず又日本本土の占領を考慮し居らずと思考せらるると為し居たりと説明し、ただ事件は対ソ関係上極めて機微なるを以て此の点注意の要ありと附言したる趣なり(以下省略)。」

 富沢とヴァニョッチから「無条件降伏の慫慂に過ぎざるものならば真っ平なり」との原田公使の回答に接した一米人ことブレナンは、自分の企図がアメリカ側の公の地位に在る者と日本とを非公式且つ極秘裡に会談せしめ両者の接近を図らんとするものであり、将来日本側より米側に伝達方希望あれば自分は何時にても連絡の労を執る用意があり、米側の主張する無条件降伏の建前は今更変更することは仲々困難であるが如何様にも解釈し得べきことを原田公使に伝え、原田はこの旨を東郷外相に宛てて六月十二日に打電した。
 
 しかし東京からは何の返電もなく(6)、我が国の外務省は天の恩恵に等しいローマ法王庁の好意を無視し、見事に的中した昭和天皇の深慮遠謀を台無しにしてしまったのである。

(1)参謀本部編【敗戦の記録】三四三~三五二頁。
 戦時中の我が国の大本営は、敵味方を欺こうとして虚偽発表を繰り返したが、日米両軍の戦果損害の実数および戦況の実態を知るアメリカ軍情報部は、当然、日本の大本営が如何なる事実を伏せ、如何なるウソを発表しているかを容易に把握することができ、発表された事実およびウソと、隠蔽された事実を比較分析してますます的確に日本の大本営の企図を見抜いていた。
 我が国の陸海軍将校達は、情報の内実と総量を知る相手に対して虚(重要な事実を故意に欠落させること)偽(事実と異なることを捏造すること)報道を行うと、逆に虚偽報道を分析されて、相手に自分の意図、目的、正体、実情、能力、希望的観測、潜在的希望などを察知されてしまうことに気付かなかった。

 だから元中佐陸軍省兵務課員の幸村健一郎は、防衛庁戦史叢書大本営陸軍部〈10〉一九四頁に、軍務局課員の種村大佐が総長大臣以下に具申した今後の対ソ施策に対する意見について、わざわざ「この細部は省略するが、ソ連に対して大譲歩をして対ソ戦を絶対に回避し更にソを我が方に誘引せんとするものであった」と記し、種村の狂気の戦争指導方針を糾弾せず、陸軍中央が、支那および東南アジアを英米帝国主義および彼等に支援される蒋介石政権より解放し、これらの地域を日本と共にソ連に提供して東亜共産主義社会を実現する所謂「砕氷船テーゼ」を遂行していたことを隠蔽しているばかりか、「憲兵隊が吉田茂を検挙した理由は、上層部の和平工作に一撃を加え、不退転の覚悟で本土決戦に臨もうとする陸軍の決意を表明する狙いがあったと思われる。また陸軍に対する中傷を黙過するに忍びなかったものであろう」と吉田検挙を正当化しているのである。

 日本の戦後、防衛庁自衛隊には、種村佐孝と同類の元陸軍革新将校が潜入していた。彼らは戦史の編纂出版講義における「大本営発表」を継続しただけでなく、国内外の共産主義勢力に内通し、東亜新秩序の実現を再画策していたであろうことは想像するに難くない。
 大日本帝国は、立憲自由主義議会制デモクラシーを開花させ、精強な陸海軍力を保有していたにも拘わらず、尾崎秀実を幕僚とする近衛内閣が出現するや忽ち破滅への道を歩み始め、わずか八年で明治維新以来蓄積してきた国富を失い焦土と化したのである。国家権力および報道に浸透する共産主義勢力の諜報謀略活動は、国家の死命を制する恐ろしい魔力を秘めている。GHQによって破壊されたスパイ防止法を始めとする防諜能力の再生強化を怠った戦後の日本国の経済繁栄は、いつ消えてもおかしくない風前の灯火、砂上の楼閣にすぎず、我が国の生命は累卵の危うきに瀕しているのである。
(2)【終戦工作の記録下】八十~八十二頁。
(3)参謀本部編【杉山メモ上】三八七頁。【昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記】八十二頁。
(4)大阪朝日新聞一九四二年三月二十日記事。
(5)大阪朝日新聞一九四二年三月十六日記事。
 宗教団体法(昭和十四年法律第七十七号)第一条 本法に於て宗教団体とは神道教派、仏教宗派及基督教其の他の宗教の教団(以下単に教派、宗派、教団と称す)並に寺院及教会を謂う。
(6)【終戦工作の記録下】三一三~三一七頁。



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龍井榮侍

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